
玄関に表札はついていますか?
最近、お友達の家に行く事がありました。
が、もうすぐ家のはずが、肝心の家が見つかりません。
電柱に番地は書いてあったので、おそらく近所までは来ているハズなんですが、結局見つからずお友達に、「近くまで着いたんだけど、家が分からない。」と電話する事に。。。
電話を切ると、後ろから友達が歩いてきました。
その道は、先程から行ったり来たりしていた道でした。
お友達の家には「表札」がなかったんです。
なので、見つけようにも見つからず、「どこだろ~?」と迷ってしまったんですね。
今、表札のついていない家って多くあります。
賃貸住宅だったりすると、「引っ越す可能性があるから・・」と表札を作らなかったり、女性の一人暮らしなどでは特に、「防犯のために敢えて表札をつけていない。」という家も少なくないそうです。
表札を付けない事で、個人情報は守られたとしても、配送業者や新聞配達・郵便配達などは困り事が増えているそうです。
表札やポストに居住者が書いていないことにより、全くの情報がないまま呼び鈴を押すことになるので、配送先を間違えていないか、安心して配送ができないという声も挙がってきているそうです。
表札は「家族の象徴」そのものですよね。
家族が増えていくたび表札に名前が増えていく事は、とても喜ばしいことです。
表札の掲示が遠のいてしまわないように、表札についてお話いたします!

表札文化があるのは日本だけ?
アメリカやオーストラリアなど欧米諸国では、配達人のために玄関や郵便ポストに、「ハウスナンバー」と呼ばれる日本の番地のような数字を、名前の代わりに掲げます。
配達人は住所やハウスナンバーで管理して配達しているため、ナンバーがあれば名前を掲げる必要がありません。
これは、アメリカなどではひとつの家に定住する観念があまりなく、その時々のライフスタイルに合わせて頻繁に引越しをするため、建物は住んでいる人の名前より、ハウスナンバーで把握したほうが何かと便利なのでしょう。
私たち日本人にはすっかり見慣れた名字と名前が書かれた表札ですが、世界的には実はとても珍しく、独特の文化のようです。
ただ、昨今は個人の情報を明らかにすることに対して居住者が慎重になり、単に名字だけの表札としたり、表札すら掲げない家庭も多くなりました。
(出典:㈱LIXILウェブサイト)
ブラジルや中南米では名前と自分の功績を表示し、門柱に掲示することがステータスとされているそうです。
この場合は表札と言うより、パネルと言ってしまっても良いくらいの大きさだそうで、自分の功績を伝えるには絶好の手段かもしれないですね。笑

表札の普及はいつごろから??
諸説ありますが、日本では明治4年に戸籍法が制定され、庶民が苗字を持つようになってから徐々に普及したようです。
戸籍法が制定されるまでは、「引っ越しをする」という概念が低かった時代であったせいか、顔なじみも多く、表札を取り付けるという習慣がなかったそうですが、同じ年に郵便制度が施工され、住所と名前によって郵便物が届けられるようになると、目印として、徐々に表札が一般化していったそうです。
そして本格的に普及されるきっかけになったのが、大正12年9月に発生した「関東大震災」でした。
大規模な震災により、多くの家屋が倒壊したことで、被災された方々が引っ越しを余儀なくされたり、住宅の建て直しを行う人が増えたことで、誰がどこに住んでいるのかを確定させるためにも表札が必要だったんですね。

「表札のある生活」と「表札のない生活」・・・
表札を掲げるということは、その家の居住者を明確にするという意味が一番大きいでしょうか。
現在ではネット販売なども普及して、お店に出向かなくても商品を届けてくれる時代です。
配送業者さんも、いつも同じ人ばかりじゃないですから、やっぱり表札は重要です。
訪問者を迷わせないためにも、おもてなしの一環といわれているそうです。
また、表札にはご近所や地域とのつながりを作るものという考え方もあります。
隣同士で住んでいるのにお互いをよく知らないというのは、現在では多くあることかもしれません。
表札がないと相手を知る手がかりが何もないに等しいと思います。
「あの人誰だろう・・・」と不安を感じているより、互いの名前が分かる環境というだけで安心して生活できるような気がします。
近年中に引っ越しをする可能性があったとしても、その場所に住んでいる間は、同じ地域に住む方との関係は大切にしたいものです。
表札って「きっかけ作り」をしてくれるとても頼もしいアイテムだと思いませんか?
「表札のある生活」と「表札のない生活」・・・実はものすごく大きな差があるのかもしれません。
「おもてなしの心」大切にしたいですね。
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